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10年ぶりのタイーTPA, TNI、そして「絆ーヒューマンネットワーク」      町田恵子 [教師のひとりごと]

7月21日から28日までタイへ出張してきました。前回のタイ出張は5,6年前と記憶していましたが、実は10年ぐらい前だったようです。その10年の間に、タイの町は見違えるほどきれいになり、ビルが林立する近代的な町に変わっていました。タイで合計8年暮らしたという佃さんが、TPAへの道を間違えそうになるくらいの変わりようでした。以下は今回のタイ訪問記です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1.ディスカバー“佃さん”
「ツクダさ~ん!」若い女の子のような黄色い声。入口に佃さんの姿を見つけた瞬間、満面の笑顔で、部屋の奥から小走りにかけてくる女性。TPAでもTPIでも、数多く出会った場面だ。かけてくるのは40~50歳ぐらいの女性。結婚し、子どもを育て、組織内でも課長クラスの責任ある仕事をこなしているバリバリのキャリアウーマンが、突然の来訪者によって20年の時を遡って、社会人になりたての若いころの世界にワープしているのが、傍目にもよくわかる。
キャッキャとはしゃぎながら、再会を喜び、昔のエピソードなどを楽しげに語るその瞳には佃さんに対する信頼や懐かしさ、同じものを目指し、手を携えて働いてきた誇りが垣間見える。
かつて、佃さんがこの地にあり、この地で仕事をしていた証が、TPIという組織の形で、あるいは職員の皆さんの心の中に確かな足跡として残っている。
「タイを離れて久しいから、知らない人が随分増えちゃったな~」と残念そうに言う佃さんの頭の中にも、自分自身がタイの仲間とともに歩いてきた道が走馬灯のように駆け巡っているのだろうか。
人が生きて、その足跡を残すというのはこういうことかと感慨深い経験だ。日ごろABKで何気なく話している佃さんを「再発見」した思いだ。今度、「ツクダさ~ん!」と黄色い声で呼んでみようか。
                         町田写真 TPAの関係者の皆さんと[1].JPG (TPAの関係者の皆さんと)

2.人は人を支え、人は人に支えられて人となる――タイの中の日本
今回の訪タイ中、日本人会の皆さんが歓迎会をしてくださった。たまたまNHKのディレクターの方が交替するのでその歓迎と歓送会に便乗した形だったが、タイで楽しく生き、よりよく働くための日本人同士のネットワークを、皆さんが大切に作り上げてきたこと、お互いの違いを認めながら、助け合い、協力して生きて来たことが肌で感じられた。
また、その中でABK関係者が非常に多いことに驚きながら、ABKが過去、現在とタイの日本人社会で大きな役割を果たしてきたこともABKに連なるものとしてうれしく思った。
大使館の小野崎さんには、「町田さん、前にタイへ来たことがあるでしょう。その時のこと、今でも何となく覚えているんですよ」と言われた。え!?ABKから来た人間だから記憶に残っていたのか、それとも決して忘れられないような「個性的なできごと」を知らずにしでかしていたのか、あるいは小野崎さんは一度出会った人は忘れない脅威の記憶力の持ち主なのか・・・「覚えている」と言われると気になるので、どんな印象だったのか、聞いてみたい気もしたが、立ち直れないような印象だったら困るので、やめておいた。小野崎さんの胸の内に秘めておいてもらおう。
小野崎さん、佐藤さんには日本人会の集まりだけでなく、27日の昼食にもご招待いただいた。江戸屋という和食のチェーン店で、ちらし寿司定食は(意外にも)日本で食べるのと同じようにおいしかったし、それほど高くなかったように思う。タイの人々にとって、日本料理は特別に意識するような料理ではなく、普通に食べられているという。そんな風に、日本人もタイ人の中に普通に溶け込んで生活しているのだろう。
「定年は何歳?タイへ戻ってくるんだろう?」「タイへ戻って、TNIの学生のための寮を経営すればいいよ」など、佃さんに対して、タイへ「来る」ではなく「戻る」という視点でのお誘い、こんな風に心から歓迎してくれる友だちを持つことをちょっとうらやましく思う。
現在TPAでは吉田先生の後任の秋元先生が、TNIでは高坂先生がABKとの架け橋になってくれている。そんな先生方も、それぞれにタイの人々との信頼関係を構築し、協力体制の中で仕事をし、新たな仲間を増やし、絆を築いていくのだろう。
AC公共広告機構のCM ではないが、「人は人を支え、人は人に支えられて人となる」ことを、ここでも深く感じた。
町田写真JE長谷川さんと [1].JPG(JE長谷川さんと)                         
3. 過去、現在そして未来へ
協力は個人の枠にとどまらない。今回のJASSO、交流基金、大使館訪問の中でも、日系企業や関連団体の協力を得て、All Japan で日本文化の普及、日本留学の促進をしていかなければならないという言葉がどこでも語られた。かつて日本製の家電製品を愛用し、J-popやアニメで日本に親しんでくれたタイの若者も、今はK-popや韓流ドラマに熱中している。また中国は200人のボランティア教師派遣して中国語の普及に努めている。日本語学習者は減少気味で、中国語、韓国語の人気にとって替わられようとしている。また、離職率の高いタイでは社員教育をしてもほかの会社に移ってしまうので、日系企業は積極的に社員教育をしないという。

広い視野に立って長い目で見て、日本語学習者のすそ野を広げること、ファンドなどを作ってタイの日系企業全体で人材育成することが在タイ日系企業の人材確保、さらには日本経済の発展、日本の地位向上にもつながるはずだとJ-Educationの長谷川さんは語っていた。地震・原発、それに未曽有の円高に追い打ちをかけられ、日本は元気とは言えない。日本語学校はどこも学生数の激減に苦しんでいる。ABKの日本語コースも例外ではない。「タイへ行けば助けてもらえると思ってやってきた」そんな佃さんの言葉に対して、TPAでもTNIでも大きくゆっくりとしたうなずきが返って来た。過去になしえた成果、過去から現在につながるABKとの友誼、あるいは今の日本の窮状を思うのか、協力要請に対する、自信と決意と確信に満ちた同意だ。

この地に、信頼できるパートナーがいることはABKにとって最大の強みだと思う。タイの社会にしっかりと根を下ろし、日本の技術移転、日本語の普及に取り組んできたTPA、そして、高度な技術力と日本語力を持つ人材育成を目指すTNI、タイでの学生募集に快く応じて、新しいアイディアをくださった皆さんに、励まされ、元気と勇気をいただいた。それはABKのためにというだけでなく、さらに高度な日本語力を持つ学生を教育するために、あるいは日本語教育のすそ野を広げ学習者を増やすという目的のために、ABKとのパートナーシップを築くということだ。お互いに相手の立場を尊重し、相手の仕事を信じ、自らのなすべきことを実行することで未来につなげていくことができたら、それがTPA・TNIの皆さんの尽力に応えることにもなると信じて、困難は大きいが、ABKの仲間たちと未来へ向けて進んでいきたい。
町田写真 タイ人の先生方と[1].JPG  (TNIのタイ人の先生方と)

今回の訪タイで一番印象に残ったのは、「絆」。それは支え合いながらともに仕事をする中で初めて作られるものだが、目に見えないので、気付かずにすぎてしまう。今度の出張で「ヒューマン・ネットワーク」がかけがえのない貴重なものであることを改めて実感した。やはり「百聞は一見に如かず」なのだろう。
今回タイ出張という貴重な機会を与えてくださったABKと、お忙しい中、お時間を割いて誠心誠意対応してくださったタイの皆さんに心から感謝している。そして、これからもどうぞよろしくお願いします。
                                      (ABK日本語コース教務主任)


〈「総合科目」を学ぶ意義・再考〉 山本 斉 [教師のひとりごと]

現在の「日本留学試験」が施行される以前の留学生選抜では、文系志望の場合社会科系の基礎科目として「世界史」を受験するよう指定されることが多かったようですが、日本語と基礎科目の試験が一本化された現行の「日本留学試験」になってからは、これまでの「世界史」を改め、「近現代」世界史、「近現代の」政治経済の基礎理論、「近現代」日本史、「現代」社会、「地理」の5分野を包摂した「総合科目」が新たに誕生しました。 

 ここでは、それぞれの専攻分野での「近代知」習得のため「日本」への留学を志した主としてアジア諸国の「現代」青年たちにとって、学習上の負担も決して小さくはないこの「総合科目」を学ぶ意義について少し考えてみたいと思います。

 私たちは「現代」社会に生きています。そしてこの「現代」社会は環境問題や南北経済格差など、地球規模のさまざまな困難に直面しています。私たちはこれらの諸問題とまったく無関係に生活していくことは不可能です。というのも、18世紀欧米地域での「近代」市民革命と産業革命以降本格化した、一般に「近代化」と総称される政治経済・社会システム及び生活文化面の全てに亙る変容過程は、今日の「現代」社会の諸問題の歴史的生成過程であったことに加え、この趨勢は「グローバル化」の名の下、さまざまな摩擦を生じながらも、現在も全地球的規模で加速度的に進行中であるからです。

西欧「近代」には、「光と影」の二つの側面があります。そして私たちが生きる「現代」社会は、西欧「近代」の生み出した功罪相半ばする「遺産」を否応なしに継承していることに十分な注意を払う必要があると考えます。人種・性別・言語・職業などによる差別を否定し、すべての「人」に「人としての尊厳」を平等に保障すべきことを求める「基本的人権」の理念が、「近代」理性の新しい福音の「光」だとすれば、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ地域に今も色濃く「影」を落としている植民地支配の悲惨な遺制は、「近代」資本主義経済から派生した「負の遺産」ととらえることができるでしょう。

 欧米列強の植民地支配を免れるため、半ば強制的に「近代化」の過程を受容せざるを得なかった非西欧国家「日本」。その開国・明治維新から現代に至るまでの歴史を、世界史的な文脈の中でどのように位置付け理解すべきかは、論者により見解の分かれるところです。 
では、留学生が、「近代化」をその中心テーマの一つとする「総合科目」を「日本」で学ぶ意義はどこに見出せるでしょうか。私見では、近代的産業技術などの非西欧世界への移植可能性とその功罪について考察する歴史的な素材を提供するばかりでなく、近代市民社会の成立を契機とした規範的な価値理念-すべての国民に対する「基本的人権の保障」やそれを担保するための統治原理である「立憲主義」-の非西欧社会での土着化の条件を探るための試金石ともなりうるところにある、と考えます。そうした視角は、日本ひいては自国で進行中の近代化の流れに対する「複眼的理解」を促すことにつながるはずだからです。

 もちろん西欧近代社会の生み出した価値理念と現実社会との間に、大きな乖離があることは否定できません。その冷厳な事実に対し目をそむけることなく見据えたうえで、その地域に固有の歴史的な条件に適合する形で西欧「近代」の「光」の側面を促進し、「負の遺産」の解消を図る方途を主体的に考え抜くことが今強く求められているのです。この課題は、「近代化」の衝撃の震源地となった西欧世界、並びに否応なく「近代化」の激流に巻き込まれていった全ての非西欧世界にとっての-すなわち人類全体にとっての-シシュフォス的(注)な「未完のプロジェクト」として把握されるべきであると考えます。
(注)ギリシャ神話「シシュフォスの岩」から。日本での「賽の河原」に当たり「(果てしない)徒労」を意味する。(編集部)
編集部のつけたこの(注)に対し、筆者から次のような、ご指摘をいただきましたので、ここにそのまま引用させていただきます。                                                       
  〔筆者は、異文化間の対話を通じた諸文明の普遍性の読み出し作業等の「近代=未完のプロジェクト」に対する先行きの見通しを必ずしも楽観視するものではありませんが、拙稿末尾部分の「シシュフォス的な未完のプロジェクト」という文言は、編集部(注)にあるようなギリシア神話の原義に忠実な解釈(「徒労」)であるというより、アルベール・カミュの小品『シシュフォスの神話』の実存主義的なコンテクストを踏まえた上での、「不条理な現実世界の中における希望の所在」を、むしろ逆説的に述べたものであることを、一言付記させていただきます。
  編集部にカミュのよき理解者がおられなかったことを大変残念に思いますが、これは筆者が読み手の側に抱いていた聊か過剰な期待によるところも少なくないことのゆえ、今回殊更言挙げするには及ばないものと考えます。(山本 斉)
山本斉さん.jpg
〔ABK日本語コース講師(総合科目)〕

〔ドンズーで教えて 第一回〕  〈ベトナム赴任への道〉 伊藤晴彦 [ベトナム通信]

 ベトナムに赴任してから、5年が経過しました。よく、「どうしてベトナムへ来たんですか?」と聞かれますが、実は、そんなに深い理由はなくて、なんとなく来てしまったという感じです。

 私は、元々、日本語教育とは全く関係ない分野の人間で、8年間くらいエンジニアとして一般企業で働いていました。会社員時代に、偶然マレーシアへ出張したことをきっかけに、アジアに興味を持つようになりました。それまでは、アジアどころか、海外すら興味がありませんでした。マレーシアは、3ヶ月くらいの出張でしたが、このときに、自分は日本人であるけれども、アジア人なんだなと強く感じたこと、何かアジアのために貢献できないだろうかと考えたのが、日本語教師を目指すようになったきっかけです。

 それから数年後に、日本語教師という職業を知り、会社を辞めて養成講座に通うことにしましたが、周りからは、どうして会社を辞めるんだと、お前はアホかと、将来のこと考えているのかと、非難轟々でしたし、両親に至っては、勘当だと言い出しますし、日本語教師へ向かって大逆風の中、第一歩を踏み出した感じです。
 養成講座に入る前は、日本語教師の売り手市場で、特に男性教員は引っ張りだこだと聞いていたので、養成講座を終了し、就職さえすれば周囲も納得してくれるだとうと思っていましたが、実際は養成講座を終了しても就職先は見つかりません。当時は、アジアのためにと言いながら、海外で生活する勇気がなかったので、関西圏でしか応募していませんでしたが、短大卒の学歴が原因なのか、面接すらしてくれません。
 養成講座終了後、就職先もないので、大阪・北新地にあった知人のラーメン屋で生計を立てていました。深夜に働き、始発電車まで北新地のバーで飲んで、新地で稼いだお金を新地で溶かす生活を4年間続けていました。お陰様で日本語教師としては全く必要ない知識ですが、北新地については詳しくなりました。
 
最初は日本語教師の就職先が見つかるまでと思ってラーメン屋にいましたが、石の上にも三年といいますが、4年間も努力が実らないと、心が折れてきます。これでダメだったら日本語教師はあきらめようと思い、国内はあきらめて海外に応募したのが、今、働いているドンズー日本語学校です。応募した時は、海外生活が不安だったので、行ったことがあるマレーシアに応募したかったのですが、私の学歴では、募集要項にあてはまる学校が限られており、マレーシアはダメ。お隣のタイもダメ。なので、ベトナムという感じで選んだのがベトナムへ来た理由です。ベトナムに関する知識は、ベトナム戦争、枯葉剤、社会主義といったことしか知りませんでしたが「まあ、東南アジアだから似たようなもんか」と軽い気持ちで応募しました。
 6月に応募してから、面接は9月下旬に東京で行いますとの返事がありましたが、「3ヶ月も待ってられん」と思い、翌々日のチケットを予約してホーチミン市へ面接に来ました。当時、大阪・堺市に住んでいましたから、東京へ行って1泊するのと、ホーチミン市へ飛行機で来るのと、そんなに金額は変わらないのでホテルの予約もせずに、チケットだけ握り締めてベトナムへ来ました。面接は、数分で終了し、めでたく採用も決まり、2ヵ月後から赴任することになりました。

 この学校に赴任してみて思ったことは、ABKの町田先生もおっしゃっていましたが「学生が教師を育ててくれる」ということです。私は、ドンズー日本語学校しか知りませんから、他校がどうかわかりませんが、学生の目を見ていると、授業の良し悪しがわかりますし、もっとストレートな学生になると、しょうもない授業をした次の授業は、学生がいません。最初の1年間は、遊びに行ったこともなく、ひたすら学校に閉じこもって教案作成、日本語教育の本を読んだりしていました。私は教案を書くのが遅く、教案を書いても模擬授業をしないと不安で眠れないので、誰もいない深夜の職員室や教室で、一人模擬授業をしていました。
 また、当校の学生は、「文法と漢字はできるが、会話はできない」というレッテルが貼られており、今はそんなことはないと胸を張って言えますが、数年前は、他校に比べて会話が劣っているというのは私も感じていました。学校としてもうれしくないレッテルですが、暗に日本人ができない教師と揶揄されている感じもしますし、非常に悔しく、どうすれば、このレッテルをはがすことができるのかを毎日考えていました。
 
そんなこんなで、1年半が過ぎた頃に、友人にホーチミン市ガイドを頼まれたのですが、私は学校から出たことがほとんどありませんから、観光名所も行ったことないし、そもそもどんな観光名所があるかも知らないし、おいしいレストランも知らないですし、結局ガイドブックを見ながら、観光客にホーチミン市内を案内してもいました。
 現地に住んでいる人間が、これではダメだと思い、2年目からは街へ出るようにしました。街へ出て遊んでみると、ベトナム人の生活や流行などがわかるようになり、他国では通用しないと思いますが、ベトナム人の心をつかむ例文を提示したり、場面設定ができるようになり、授業にも幅が出てきました。そのため、街へ出て遊んでみて、今の若者がどのようなことに興味を持っているかを感じることも勉強だと思い、文遊両道を目指して遊ぶことにも力を入れています。
 日本語教師になるまでは、大変でしたが、今は、ドンズー日本語学校に赴任できて心から良かったと感じています。写真(左・右端、右・3列目左から2人目 筆者)(つづく)
                              (ベトナム・ドンズー日本語学校講師
ドンズーの先生たち2(24%).JPGDSCN0198[1] 伊藤2(縮小)2.JPG

〔TPAで教えて  第一回〕 〈希望の星!タイで出会った先生たち〉    吉田菜穂子 [タイ通信]

TPA(泰日経済技術振興協付属語学学校)にはタイ人、日本人合わせて、約70人の日本語教師が在籍しています。朝から夜まで、土日も営業の日本語コースでは年間約1万人の学生が日本語を学んでおり、そのため、常に教師不足。私の任期中にも多くの新しい先生がTPAに入りました。タイで過ごした3年半はそのような先生たちと、どうしたらよりよい教育が提供できるのか、日々模索する毎日でした。
任期も間もなく終わろうとしていたある日、何人かのタイ人、日本人の若い先生たちがお話してくれたことが今でも心に残っています。特別なことではないかもしれないけれど実はとても大切なことで、「成長すること」をあきらめない先生たちの姿勢が伝わってきました。

◆T先生(タイ人)の一言
(学内の勉強会「中級レベルの指導について」で発表をお願いしました。時間をかなりオーバーして終了した後・・・)
「先生、中級の授業はみんな教えるのが難しいとか、準備が大変だとか言って、嫌がって、先生も困っていたでしょう。でも、私はTPAに入って初めて中級レベルを担当して、すごく勉強になったし、だんだん難しくなる日本語を学生が続けて勉強してくれるようにいろいろ工夫したら、学生も喜んでくれて、本当に楽しかった。勉強会では、それを他の先生たちにもわかってもらいたくて、いろいろ紹介したいことがあって時間が足りませんでした。時間オーバーしてごめんなさい。でもこの機会があって、本当によかったです。」

◆S先生(日本人)のお話
(勉強会の後、スクンビット界隈の居酒屋に行く途中で)
「先生、今日の勉強会、T先生のあの情熱を見て、本当に感動しました。タイ人の先生の中にT先生のような人がいるということがわかっただけで、今日の勉強会に来たかいがあったと思います。私もやる気が湧いてきました。」

◆Y先生(タイ人)のお話
(私と後任の秋元先生の歓送迎会のときに)
「先生、私を採用してくださってありがとうございました。先生は覚えていますか。
私、模擬授業試験、3回目でやっと合格できたんです。あのとき、自分が本当に恥ずかしかったし、何が足りないのか悩んだけれど、アドバイスを聞いてもう一度と思いました。あきらめなくて本当によかったと思います。将来、日本でも日本語の指導法を勉強できればいいなあと思っているんです。」

私の仕事は、学生に直接教えることではなかったので、常に先生たちを通して、タイの学生を見てきました。時代のニーズに合わせて、タイでも新しい取り組みが多く取り上げられ、裏方の私よりも、実際に学生の前で教える先生たちのほうが負担は大きかったと思います。そのような中、チャレンジ精神を持って、あきらめずに努力を続ける先生たちと一緒に仕事ができたことは、とても幸せに思う今日この頃です。写真(上右から2人目、下前列左から3人目)筆者。THAI 047[1] 吉田先生2(縮小)4.JPGIMG_0477[1] 吉田先生1.JPG
(ABK留学生日本語コース専任講師、2008.4~2011.3 タイ国・TPAに日本語講師として勤務)

〔TNIで教えて 第一回〕  〈「遅刻してもいい授業」かもしれない・・・・・〉    高坂千夏子 [タイ通信]

日本語を教えていると、礼儀や日本人の考え方などに触れることがあります。そういうときはちょっと複雑です。「日本では絶対こうしなければならない」「日本人はみんなこうだ」などと押し付けてしまうのは危険だと思うからです。でも知らなかったために損をしてしまうということもありますよね。

 例えば、日本人が食べるときに立てる音のせいで、外国の人たちに白い目で見られることがよくあります。その音を聞いた人は、驚くだけでなく、その日本人を軽蔑するかもしれません。他の国の人がそれをどう感じるかということを知らなかったばかりに、「礼儀のない人間」というレッテルを貼られてしまうのは不本意なことです。ですから「知っておくと便利なこと」というのはやはりあるのだと思います。
では、押し付けにならないように伝えるためにはどうしたらいいのでしょうか。
 
 「日本人」と言えば…、やはり「時間にきびしい」ということでしょう。日本で生活したり日系企業で働いたりする上で、人間関係を円滑にするためには知っておくべきことだと思います。でも、それが時には異常なほど厳しく感じ、受け入れられないと感じることがあるかもしれません。
 日本語の先生たちと集まると、「遅刻が多くて」とか「宿題をやってこなくて」とかいう愚痴が聞かれることもあるんです。外国で教えていたら、「ここは日本じゃないし…」などと、その国に合わせるという理由で、あきらめてしまう先生もいるかもしれません。でも、ある先生がおっしゃいました。「本当にそうなのかな」と。何かほかに理由があるのではないかな、ということです。もしかしたら学生にとって「ちょっとぐらい遅刻してもいい程度の授業」なのかもしれませんし、「やっても意味がない宿題」なのかもしれません。そんなふうに視点を変えて考えてみると見えないものも見えてくるかもしれません。  
 
 日本で「常識」と思われていること、例えば、時間を守るということも、電車やバスでの携帯電話使用禁止も理由があるはずですが、当たり前のように思えることをもう一度見直してみることも必要かな、と思うようになりました。もしかしたら普段私たちが「常識」として片付けていることが、実は色々な理由から受け入れられにくいという可能性もあるからです。
 
 闇雲に「日本人はこう考える」などと教えるのではなく、視点を変えて相手の立場になってもらったり、「どうしてか」を理解してもらう必要があるのではないかと思うのです。ただ「遅刻はだめ!」「宿題をしなさい!」と言うだけではなく、なぜか、ということを教師自身も考え、それを伝えることができれば、賛成反対はともかく、人間同士ですから必ず理解してもらえるはずです。その上でどう行動するかはその人次第。そんなことを考えながら、日々学生たちと学んでいます。〔写真 後列右端 筆者 (タイ在住ABK日本人同窓生新年会より)〕  (泰日工業大学日本語講師
                                   高坂さん.jpg

〈ドンヅー日本語学校訪問記〉 町田恵子  [教師のひとりごと]

はじめに
「留学生と日本語」というこのコーナーの趣旨からは若干外れているかもしれません
が、日本に留学しなくても、日本語を学ぶ学生と、その指導に当たる先生がこの広い
空の下、世界中どこにでもいることを、同じ仲間としてぜひお伝えしたいと思います。
このたび、ホーチミンにあるドンヅー日本語学校の20周年記念にあわせて、ベトナム
を訪問する機会を得ました。実際に目で見、耳で聞いてきたドンヅーの様子、そして
そこから私が感じたものを、皆さんに少しでもお伝えできればと思います。短期間の
ことであり、筆力にも自信がないため、誤解や不備もあるかと思いますがその点は
お許しください。

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1.学生の礼儀正しさ、ホエ先生の理想
町田先生1(24%).JPG模範授業をする筆者(24%).JPG
                   〈写真 研究授業をする筆者〉
ホーバンフエのドンヅー本校の玄関先に立つと、バイクが所狭しと並んでいた。雑然
としているようでそれなりに秩序が保たれている、その並べ方が、小木曽さんの言う
『ベトナム的合理主義』に合致しているのだろう。
 玄関脇には新宿日本語学校とさくら日本語学校からのお祝いの花環が並べられ、
玄関ホール両脇もたくさんの花で彩られて、華やいだお祝いムードを醸し出していた。
ABKからの花環は、贈っていないのだからもちろんない。お祝いの花を贈るべきだっ
たと、小木曽さん、山田さんとともに反省。「飾らない」のがABKと言って、気が回らな
いのを言い訳してすませてはいけないと思った。
 
玄関を入ると、行き交う学生さんたちがきちんと一度立ち止まり、頭を下げて挨拶し
ながら通り過ぎていく。その姿に新鮮な驚きを感じた。なぜ「新鮮」かというとABKで
は挨拶はしてくれるが、こんなに礼儀正しくないから。どうして「驚いた」かと言うと、A
BKの学生はどこの誰かわからない人にまで挨拶したりしないから。
 教室内でも先生が入ってくると全員立ちあがって、挨拶。先生が「お元気ですか」
と聞くと、声をそろえて「はい、元気です。先生も元気ですか」と聞いてくる。形にとら
われる必要はないという考え方もあるだろうが、口に出して示すことによってお互いの
心が通じ合う、少なくともそのきっかけを作ることができるのは確かだ。現に私も挨拶
されて戸惑いつつ、心が温かくなるのを感じた。
 
山田さんが「ベトナムの学校はどこでもこんな感じなんですか」と聞いたら、「ドンヅ
ーだけです」と言われた。ホエ先生の理想とする教育が、ここでこんな形でしっかり
実を結んでいるのが感じられた。理想があっても、実行に結びつけるのは難しい。改
めてホエ先生の実行力、カリスマ性を再認識した瞬間でもあった。

2.ベトナム人教師の指導力、ドンヅーの組織力
 ホエ先生の理想を具現しているのは、この地で、この学校で、日々教育にあたって
いるベトナム人の先生方。その先生方が、この、きちんと芯の通った、それでいて温
かみのある学校の空気を作り、育て、維持している。
 先生方との話し合いの中で、質問されたこと、「やる気のない学生にどう対処したら
いいか、学習が進まない学生をどうサポートしたらいいか、この文法項目はどう提示し
たらわかりやすく印象に残るか」などなど。それらは常々ABKで教えている先生方と
共通の悩みだ。日本とベトナム、遠く離れていても、やはり同じ日本語教師なのだと
仲間意識、一体感を感じる。

一方、ABKでは聞かれない悩みもある。先生方が口々に、自分自身の日本語力に
不安を感じると話すのを聞きながら、その気持ちの中にこそ、教師としての理想、努力、
自負がこもっていることを私は伝えられただろうか。「まあ、こんなもんだろう」と妥協した
り、「井の中の蛙」的に、自分は日本語が上手だと思っていたら、日本語力に対する不
安を口にすることはない。実際、個人差はあるが、皆さん、かなり高い日本語力を持って
いる。それにもかかわらず、足りないと思うのは、教師としてよりよい教育をという理想
に燃えているからこそ、そして、その理想に向けて努力を続けているからこそだ。実は
どんなに優秀な教師、あるいは通訳者でも、その国での生活経験があったとしても、
成人してから学んだ言語を、母語話者と同様に話すのは不可能に近いのではないか
と思う。でも、それは母語話者よりも教師として劣るということではない。自分自身が
日本語を学ぶ過程で困ったこと、工夫したことが、全て新たにその道を行く学生たちの
道しるべとなるのだから。そして、それは日本人の教師にはできないことだから。

先生方との話し合いで感じた熱意は、私にとって心地よいものだった。ドンヅーの先
生方がこのように真摯に日本語教育に打ち込んでいるのは、ホエ先生を頂点に、ジュ
エン先生、ギー先生を副校長として、組織固めがしっかりできているからだろう。ホエ
先生が文字通り馬車馬のごとく理想に向かって突っ走るのに合わせて、教師と学生
が馬車の両輪のようにお互いに高めあい、協力し合いながら走っている。
その馬車をジュエン先生とギー先生が御していると言ったら、ホエ先生に叱られる
だろうか。ちなみに、ドンヅーの教室には全てテレビカメラが取り付けてあって、授業
の様子をホエ先生がチェックするのだと言う。チェックされる先生も大変だろうが、チェ
ックをするホエ先生の労力もそうとうなもののはずだ。ともすると閉鎖空間となってし
まう教室を、ほかの視点から見ることは大事なことだし、必要なことだが、なかなか
できることではない。それを実行しているホエ先生の情熱に頭が下がる。
ドンヅーの教室は廊下に向かう部分がすべて窓になっていて、廊下を通る人は教
室内の様子が見られるようになっている。それもホエ先生の工夫なのかもしれない。
ABKも新校舎建設の際にはぜひそのような形にしてほしいと思う。
〈写真左 (右から) 伊藤先生 (一人置いて) ギー副校長、ジュエン副校長。写真右 
お茶目なジュエン先生〉
ドンズーの先生たち2(24%).JPGお茶目なジュエン先生.JPG
3.ドンヅーの漢字教育、ベトナム的合理性
 もうひとつ、ドンヅー日本語学校の特徴の一つに漢字教育があげられる。私がぜひ
見たいと思ったのも、その漢字教育だ。ベトナムはもともと漢字文化圏に属する国で、
現在は漢字が使われていないものの、1つ1つの発音=意味にはそれに当たる漢字
が存在するそうだ。ドンヅーの漢字教育はその点に着目した独自の教育法だ。
日本語を学ぶ上で、中国語を母語とする学習者が漢字の共通性の恩恵を受けて
いることは広く知られている。韓国人学習者も、例えば「감사(カムサ)」がもともと漢
字表記で「感謝」と書かれたものであり、日本語では同じ漢字を「かんしゃ」と読むこ
とが分かれば、母語と結び付けて語彙を覚えられるので学習の負担が軽減する。
 それと同じような形で日本語の1つ1つの漢字をベトナム語の発音で覚えていくの
が、ドンヅー式漢字学習法(便宜的にこう呼ばせていただく)だ。ベトナム語で日本
の漢字を勉強するのだから、ベトナム人の学習者にとって母語の優位性を遺憾なく
発揮できることになる。ホエ先生はベトナムの学生にとって中級の読解が課題だと
おっしゃっていたが、この漢字学習によって、ドンヅーの学生は、同じように非漢字
圏の学生として扱われるタイやインドネシアの学生より、またベトナムのほかの日
本語教育機関の学生より、ずっと優位に立っている。初級の学習を終えたドンヅー
の学生は、日本語で書かれた文を見て、読めないながらもだいたいの意味を推測
する能力を有していることになるからだ。 この漢字指導はベトナム人の教師でな
ければできないことは言うまでもない。もしかしたら、ホエ先生が自分自身の日本
語学習の中で生みだした工夫なのかもしれない。日本人教師の中にはその漢字
指導法に批判的な意見もあるようだが、利用できるものはこだわらずに活用する、
そのベトナム的合理性を私は素晴らしいと思う。

4.日本人教師の明るさ、逞しさ 
ドンヅーがベトナム人の先生方によって支えられているとはいえ、学校を一歩出
たら、全く日本語環境がない。そんな学生さんたちの教育を別の面から支えている
のが、日本人教師の皆さんだ。自然な日本語を聞く機会を与え、発音指導をし、日
本人的発想や対応の仕方、文化や習慣などについて、身をもって示せるのが、日
本人の教師ということになる。滞在中いろいろお世話になった伊藤先生から、来た
ばかりのときにタクシー代をぼられた話などを聞きながら、大変なことも思い出話に
してしまう明るさ、海外で働きながら暮らす逞しさを感じた。今年5年目の伊藤先生
はこっちへ来てからストレスを全然感じないとのこと。私にはとても真似できないバ
イタリティだ。 それは、一緒にタクシーで移動した日本人教師の皆さんからも感じ
られた。ベトナム語もわからないまま赴任して、日々生活しながらの慣れない教育
活動。直前に担当クラスが変更になったり、教室に行ったら学生が急に増えていた
り、何でもありの状況で、それでも黒板を背にして立たねばならないのは、日本で
はちょっと考えられないことだ。それでも、与えられた環境の中で教師として精一杯
努力する姿に感動を覚えた。なかなか教え方について質問できる人がいないと言っ
て、授業開始前の短い時間にいろいろ聞いてくる熱意に敬意を表する。
 海外にもいろいろな日本語学校があるだろうが、ドンヅーで教師としてのスタート
を切ることができたのは、この若い先生たちにとってきっとすごくラッキーなことだ。
なぜなら、教師を育ててくれるのは学生だから。熱心に学習に取り組むドンヅーの
学生とともに試行錯誤を繰り返しながら、立派な教師に育っていくことだろう。
ちなみに、どれくらいベトナムにいるのか聞いたところ、任期は1年で、学生に人気
があれば継続可能というシビアな答え。ホエ先生の評価基準は学生が目を輝かせ
て楽しそうに勉強しているかどうか。ホエ先生、やっぱり厳しい。でもその厳しさは
自分自身にも同様に向けられているもの。ほかの先生方も同じように厳しく、学生
さんたちも先生方の厳しさを高く評価していた。

5.ベトナムの日本語教育
 ダナン分校の校長タン先生の話によると、先生方は週40時間授業を受け持ってい
るとのこと。時間給の非常勤講師は、コマ数を増やさないと収入が減ってしまうので、
たくさん担当する傾向だという。一方、経済成長真っただ中のベトナムでは、より高い
収入を求めて転職する人が多く、日系企業は高給だと思われているらしい。企業の
方も一般のベトナムの企業より高い給料を出していると思っているが、日本以外の外
資系企業には及ばないという。ベトナム人が時間をかけて学費を払って日本語を身に
付けた「投資」に見合うほどの高給とは言い難く、不満を感じる人が少なくない。企業
はそのことに気づいていなくて、ベトナム人がすぐ転職してしまうことに不信感を持って
いるらしい。何となくボタンの掛け違いを感じる。ベトナムでも日本語学習者は減少気
味だそうだ。それでなくても日本が経済的に求心力を失いつつある中、今回の大震災
の影響がどれくらい出るのだろうか。
 ドンヅーの力強い歩み、先生方の熱意に励まされ、勇気をもらった今回のベトナム
訪問だったが、同時に不安も広がる帰路だった。いろいろ心配しても始まらないから、
今できることをできる限り努力するしかないのだが・・・。
〈写真左(サイゴン港の船上レストランで、右から:町田、小木曽、春原、ホエ、ティパワン(タイ、
TPA)、ジュエンの皆さん。写真右(ホーチミン市はやはりバイクの街)〉
サイゴン港の船上レストランで.JPGホーチミンシ市はやはりバイクの街.JPG
6.終わりに
 3月12日、東北関東大震災の影響で高速道路は閉鎖、一般道は大渋滞、電車も満足
に走っていない中、成田に向かうも、飛行機に間に合わず、翌日、小木曽校長、山田事
務長とともに、機上の人となった。予定より1日遅れての出発だった。渡航中止もやむな
しの状況だったが、今回訪問できたことで多くの収穫が得られ、有意義な時間が過ごせ
た。滞在中いろいろご配慮いただいたホエ先生、ジュエン先生、ギー先生、タン先生、
伊藤先生、また授業見学や意見交換をしてくださったドンヅーの先生方に心からお礼を
申し上げたい。私にとって初めてのベトナムは、いろいろな意味で忘れられない思い出
になるだろう。
                                  (ABK日本語コース教務主任)

〈学生の詩 「おれは風」 と書家の出逢い〉       亀山稔史  [教室で]

陳小婉さんの詩と希代侑香さんの書2(縮小).JPG陳小婉さんと希代侑香さんの書(縮小3).JPG           
書 希代侑香さん〉(おれは風だぜ  強いほど心配になった 波も大きくなった 木も倒れた おれのせいで ごめんね)

昨日〈2011年2月10日(木)〉、びっくりすること(嬉しいこと)がありました。

午前の授業が終わると、教室の前で水須(ABK職員)さんが待っていました。
「掲示してあった詩を見て」「展覧会で」等々、正直よくわからなかったのですが、とにかくお客様がロビーで待っているというので、そちらに向かいました。

お客様は、駒込在住の希代侑香さんという書家の方で、
「以前、散歩の際に立ち寄ったABKのロビーに掲示したあった学生の詩が気に入り、書の作品とし、展覧会でも好評を得た。この作品を贈りたい。」とのことでした。
幅1メートル以上で、額装も立派な作品です。

調べてみたところ、学生の詩は、学生版「のはらうた」の「おれは風」で、7月期の選択科目「日本語会話(表現)」(土屋先生のクラスです)での香港のマル(陳小婉)さん(当時SB4→現SB1、写真)の作品とわかりました。

          〈おれは風〉 
          おれは風だぜ
          強いほど心配になった
          波も大きくなった
          木も倒れた
          人も出かけられなくなった
          おれのせいで・・・ごめんね

放課後にマルさんに来てもらって、作品を見せたところ、感激して涙ぐむほどでした。
見ていて、こちらまで嬉しくなる喜びぶりで、その様子を見ていた町田先生(教務主任)も
「幸せのおすそ分けをもらったみたい」と言ってくださいました。

今後、希代さんとも相談し、ABKでしばらく展示をした後、マルさんに直接会って
贈っていただくようなことを考えています。

世の中、いやなニュースも多いですが、こんな嬉しいことに直接出会うことができて、
明るい気分で週末を迎えることができました。  
(ABK日本語コース専任講師

〈食べれますか〉    土屋幸子 [教室で]


 巷では「日本人の知らない日本語」という日本教師の抱腹絶倒の日々を描いた本が売れているとか。振り返ってみると私にもいろんなことがありました。
 
 初めての授業での学生からの質問に引きつったこと、印象に残っています。
〈今でも、内心引きつることがありますが、(笑)顔には出しません〉
数年の経験を経てなんとか半人前になったころ…忘れられないことが…。
「今の若者は言葉が乱れている! 特に『ら抜き』言葉は許せない!」と週刊誌に取り上げられた頃の出来事です。

 ここは都内のとある女子大、その日私は、日本語副専攻の大学生の実習を見学させていただきました。学生は○○日本語学校の学生。
では、授業スタート!

   「今日は可能型を勉強しま~す」と明るく女子大生の先生さっそうと登場。
そして、まずチョークを持ち,
    納豆が食べられますか と板書。
次、おもむろに学生を見渡し、片手に納豆を持ち、ニコッとして、
   「みなさ~ん、みなさんは納豆が食べれますか」
「えっ?!」ざわめく教室、学生は「食べれますか」なんて聞いたことない。

   A「先生!黒板の 『食べられますか』 は敬語ですよ」
   B「違いますよ… 先生!「食べられます」は受身です」
   C「え~、違うよ~!」

 学生たちは、若くてかわいい先生の卵を何とか助けたいその一心で、知っている限りのことを叫び続けています。そして…若い女子大生は…もちろん自分が発した言葉、「食べれます」なんて無意識でのこと、何が起こったか分からず、驚きのあまりそのつぶらな瞳をぱちくりとさせ、ただただ、おろおろ。教室の後ろでビデオストップさせ、頭を抱えていた担当教授の姿も忘れられません。

あれから10数年、あの可憐な女子大生の先生はどうしているでしょう?
今はもうベテランの頼もしい先生になっているのでしょうか?
それともほかの道を歩んでいるのでしょうか?
                                    〔ABK日本語コース日本語講師

〈授業で意識していてもらいたいこと〉   國府卓二 [教室で]



 私はいつも新学期の授業の第1日目に、また、1年間を通じて学生に言っていることが
あります。ここでは特に中級レベルの読解の授業について述べたいと思いますが、それは、
授業を受けている時に皆さんに意識していてもらいたいことで、大きく分けて3つありま
す。
 
 1つ目は、自分の意見を持つことです。文章を読んでいる時に、その内容を理解するこ
とはもちろん大切ですが、その次に、書かれている文の内容や筆者の意見に対して賛成か
反対か、また、どの点が同意できて、どこがおかしいと思うのかなど頭の中に思い浮かべ
ながら読んでほしいと思っています。その時に必要なことは、どうして賛成か反対か、な
ぜおかしいと思うかなど理由も考えることです。内容を理解することだけにとどまらず、
同意したり批判したりしながら読んでいけば理解が深まって読むことが楽しくなると思い
ます。
 
2つ目は、他の人の意見もよく聞いて他の可能性も考えることです。自分の意見を持つ
ようになったら、次はそれ以外の考え方を知ることが大切です。自分の意見が間違ってい
る場合もあるし、たとえ自分の意見が正しくても他にも正しい意見があるはずです。答は
1つだけだとは限りませんし、たとえ1つだけだとしてもその答が出るまでのプロセス
違う場合もあるからです。ですから、練習問題の答が合っていたと満足するだけでなく、
他の考えもあることに気がついて、考え方の幅を広げてほしいと思っています。この習慣
を身につけていけば、1つの考えに縛られずに柔軟に考えられるようになると思います。
 
3つ目は、具体的な内容を考えることです。中級の読解の文章の中には抽象的な内容の
文や語彙がたくさん出てきますが、抽象的な文や語彙はわかったような気になっていて具
体的にどういうことかと尋ねられても答えられない場合がよくあります。とても簡単な例
を挙げると、「生活が便利になった」や「真面目な人」など私達は普通に話したり書いたり
しますが、生活が便利になったというのはどういうことなのか、どんな人が真面目なのか
突然聞かれてすぐに具体的な例が出てこない人が多いと思います。
 
 これらの他にも授業の中で気をつけてもらいたいことがたくさんありますが、まず、上
の3つのことを意識してみて下さい。そうすれば文章を読んでいる時に、今までとは違っ
た新たな発見があるかもしれません。
b9a413b2.jpg         写真(左端)筆者  
                                        (ABK日本語コース専任講師)    

〈留学生に教えられたこと〉   星野陽子 [教師のひとりごと]



出会い、別れ、再会、そして又。小説のようであって小説よりも確かな時の流れがあった。この時の流れの中で様々な留学生との日々の暮らしがあり、ここから実に多くの事を学んだ。アジアの中の日本を知り、世界の中の現実の日本の姿を見、将来の日本の姿に思いを馳せ、日本人を見つめ、自分を見つめることも留学生から教えられたことである。
今日の日本の姿を随分昔に彼らから教えられていたような気がする。そして変わりゆくこれからの世界の姿も彼らは示してくれるだろう。(写真 前列中央 筆者)
6b21377d.jpg
世の中は変わっていく。そして人も又変わっていく。ABKの周囲もしかり。銀杏並木の黄金の黄昏も、桜吹雪の三百人劇場の上映予告板も、ABKの建物をすっぽりと覆っていた蔦も、今はその姿をすっかり消してしまった。だが心の扉に耳を当てれば懐かしい光景が蘇ってくる。若さに溢れきびきびと階段を駆け上って行く姿が。笑い転げる明るく跳ねる声が。ふてくされてへの字に曲がった唇が。大粒の涙が。カセットに託した母の心が。不安や苛立ちに押しつぶされそうな思いまでもが鮮明に思い出せるだろう。

長い年月の後に再会したかつての学生が見違えるほど落ち着いてエレガントになっていたり、思慮深く配慮のできる人間になっていたり、大きな開かれた心になっていたりする。彼らも時の流れの中で揉まれ、削られ、苦労を重ねながら己を磨いてきたのだなと感激してしまう。そして時が流れてもABKに集う優しい思いはいつも変わらないのだと感じる。ありがとう優しさをと心から湧き上がる思いが溢れる。

各国事情を知り、各国の文化習慣を知れば相互理解が深まると思っていた。だが習慣の違いを知ることは後から付いてくるものだった。どちらが上か下か、どちらが先に頭を下げるかなどという思いを持っている限り相手との距離は縮まらない。プライドが傷つけられはしないかなどという思い上がりを捨て、新しい風が入って来られるようにほんの少し窓を開くだけでいいのだ、ということも留学生との日々から学んだことである。

留学生は新しい風を運んでくる。新しい風が世の中を少しずつ変えていく。願わくはABKに吹く風が優しい流れになっていつでも誰にでも優しくあり続けて欲しい。この先ABKという外枠が消えてしまったとしてもABKの精神として常に流れ続けて欲しい。
歴史認識の違い、戦後処理の問題、領土問題、経済の行き詰まり、温暖化、様々な問題に囲まれているが、どちらが上か先かではなく、相手の気持ちを少し考えることが問題を解決していくのではないだろうか。ABKに吹く風が様々な問題を解決していく可能性を秘めているように思えてならない。

出会い、別れ、再会、そして又。巡り巡る人の輪が人の心を大きくしていく。
                                        (ABK日本語コース/日本語講師)

 
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